ムカデのオアシ

ムカデのオアシ

神使という動物がいます。

稲成神社の狐などはそうですよね。

稲荷神が予知能力があるとされる狐を神使としていることから、相場を読むということで商売の神様となっています。

神様はだいたいこの神使を持っています。

持っていますという言い方が正しくないかもしれませんね。。。狐などは眷属神ですから、眷属がいるという言い方のほうがいいのかもしれません。

七福神の神様にもその眷属がともにいて、この神様たちのお役に立っています。

弁財天は蛇、福禄寿は鶴、恵比寿は鯛、寿老人は鹿、大黒天は鼠、毘沙門天はムカデ、布袋さんは従えていません。

眷属(神使)はお役に立たねばなりません。

もともと神様になるにはまだまだ修行が足りないよというのが眷属神ですから、ちゃんとした神様のお側でお役に立ちながら、人々を助け修行をしているお立場です。

その備わった能力により、神様をお助けしているのです。

例えば毘沙門天のムカデ。

毘沙門天は軍神であり財宝や福徳を授ける神様です。

ムカデはその百足の足揃うことで前進するのですが、この能力は「全ての人の心が一つとなって勝利する」ということに結び付けられています。

またムカデは毒を持つものですが、毒は転じて薬となります。

敵ともなり味方ともなるこのムカデを味方にするということと、戦には付きものの怪我や病から身を守るということ、これも軍神たる毘沙門天にムカデがお仕えしている意味なのだそうです。

面白いことに、「足がたくさんある」ということが「おあし(お金)が沢山」という事に転じ、金運を呼ぶとして信仰を集めたりもします。

なかなか俗物的でその信仰は面白い。

だって戦など、普通に生活している一般人には関係ないですもんね。

お金のほうが楽しいですから。

毘沙門天は軍神ではありますが、結果財宝を守り授ける神でもあります。

ムカデに「おあしを」とお願いしても、お怒りにはならんでしょう。

神話にしてもそうですが、昔から言い伝わるこういった逸話などの、想像力の豊かさに驚かされます。

「財布にカラシを入れてくとカレシができる」と姪っ子が高校の頃話してくれましたが、このムカデのオアシも大差ない。

というか、このように細々お役に立っている眷属神は、一体いつまでご奉公せねばならんのでしょうね。

こんなに頑張ってもまだ神様になれないのですから、人間寿命が85年。

生きてる間に神様になれるはずがありません。

眷属神というものは神様にお仕えしている修行中の神様で、たとえば稲荷神の狐、これが眷属神です。

とある特化した能力を持ち、狐であれば予知能力などがそれです。

まだまだ修行の身であられるようで、ちゃんとした神様にお仕えし、その特化した能力で人々の求めに応えながら修行の成果として積むのだそうです。

普通茶色の狐ですが、千年の修行で白狐に、さらに千年で黒狐になるのだそうです。

なにか役立つことをと探していますから、困っていると近づいてきて取り憑いたりします。

悪気はないんです、役に立とうと思っている。

修行しないといけないですから。。。

取り憑かれると、憑かれた人は霊界が見えたりするような能力も体得出来るようです。

しかし簡単に取り憑いてくれる狐はまだまだ未熟な子ですから、ちょっと素っ頓狂ですし、見せてくれるものが間違っていたり極端であったりと、取り憑かれたほうがしっかりしていなければ振り回されてしまう。

けれど「それも修行の一環」と狐は思っていますから、「役に立った」だの「感謝している」だの、表に表してもらわないと怒り出すわけです。

朝のラジオ体操の出席カードにハンコを押してもらわないと困る!出席してないみたいじゃないか!という感じですよ。

「折角こっちは頑張ったんだから、神様に証明せんとならんのよ!」と狐は怒る。

それを「見返り」とよくいいますが、感謝し大事に思ってくれる人が居ることを他者に知らしめさないと「いいことをした意味が無い」といって怒っているのです。

それに簡単に感謝されねばなりませんから、御指導御鞭撻などはしません。

する能力がまだ足りないということもあるのでしょうが、都合のいいことを聞かせたりしたほうが感謝されやすいじゃないですか。

ですから、取り憑かれた人が感謝しやすいことしか言いません。

これに対しても「うそつき!」などと狐を恨んではいけません。

「良い事したつもりなのに!」と返って怒り出されてしまいます。

「そういうことではなく、もっとステージが高いものを見せてください」とか「私の成長にご協力頂けませんか?」などとお願いすると、そうかそうかと「自分の修行のために」頑張ってくださる場合もあるようです。

狐側もそのようにご成長あそばされるのです。

上手におつきあいしないととんでもないことになるので「触らぬ神に祟りなし」という言葉は真理ですね。

私が信じているかというと、そうでもないんですが、こうやって考えてるととても愛らしいというか可愛らしい話なので、そういう話はよく調べたり聞いたりはします。

祟り祟りといっても、こういう理由で祟っているかと思えば、なんとなく朗らかになってしまいます。